筆跡鑑定の信用性


Posted on 2月 20th, by admin in 事件の窓から, 弁護士の目. No Comments

筆跡鑑定についてこれが科学的と考えている人が多いが,決してそうでない。

 血液検査による父子鑑定などは,AB0型の検査だけでなく,MN型とかSs型の検査を行い,父子である確率は何パーセントであるという数値的結論が出される。近ごろはDNA鑑定が行われ,これだともっと安価に正確な結論が出ると言われている。

 ところが,筆跡鑑定ではそういう客観性がない。基本的には,鑑定すべき文字(検体文字)と対照文字とが似ているかどうかを判断することによってなされる。たとえば鑑定資料の文字(検体文字)は右肩上がりに書かれているが,対照資料の文字も右肩上がりに書かれているから似ている,あるいは右肩上がりでないから似ていないという判断を積み重ねる方式である。ここでは,似ているとしても同じように右肩上がりの字を書く人がどれくらいいるのかの確率は捨象され,不問に付される。また,似ていないとしても,人はいつでも同じ筆跡と限らず,その文字を書いたときの諸条件によって全く違うような文字を書いてしまうことも少なくなく,自分の字かどうか判別できなかったという経験は誰にでもあると思うが,そういうことはあまり考慮されない。

 それでは筆跡鑑定は鑑定人の主観的判断に過ぎず,少しも科学的でないのではないかという批判に対して,筆跡鑑定は,希少性,恒常性のある「筆跡個性」を発見し,検討することによって客観性・科学性を持ちうるのだという反論がなされる。確かに,対照文字に希少性のある書き癖(筆跡個性)が恒常的に出現していることを発見し,同様の筆跡個性が検体文字にも表れているか,いないかを判断すれば,筆跡の異同は客観的に判断できるとも言えなくもない。しかし,その場合でもその筆跡個性が希少かどうかをどうして判断し得るのか,その基準がないではないかという問題と筆跡個性はどんな条件によって変わらず出現するのかという問題が残る。

 筆跡鑑定はこのようにかなり鑑定人の主観的判断なので,これを頭から信用するのは危険である。私自身は,遺言書の筆跡鑑定の結果についてこれを証拠として採用しないと排斥した判決を2回受けた経験がある。

 一度目は,鑑定結果は,検体文字は対照文字と違い,ふるえているなどを問題にし,同一人の筆跡とは認められないと鑑定したが,遺言者は遺言当時にパーキンソン病に罹っていた。この基本的条件の差異を無視した鑑定であったので,京都地裁判決はそのことを指摘してこの筆跡鑑定を排斥した。

 2度目は,わずか数字3文字についての筆跡の異同を鑑定したものであるが,鑑定結果は上記と同じく同一人の筆跡とは認められないという結論だった。しかし,京都地裁平成17年6月16日判決は,鑑定手法を詳しく批判してこの鑑定結果は採用できないと判示した。

 相手方は,たった1つの専門家の鑑定結果を採用しないのはおかしいとして大阪高裁に控訴したが,同裁判所も相手方の言い分を斥け,この筆跡鑑定を採用できないと判示した(大阪高裁平成17年11月15日判決)。