政治家の言葉の不実さ


Posted on 9月 30th, by admin in 憲法エッセイ. No Comments

 HPの更新をサボっていたら,この間に国民投票法が成立し,教育基本法が改悪され,参議院選挙の自民党大敗があった。それでも安倍首相は続投に固執し,内閣を改造して8月に第2次安倍内閣が発足。ところが,9月臨時国会における所信表明直後,突然に辞意を表明して政権放棄。その後,茶番劇みたいな自民党総裁選を経て福田内閣が発足した。

 政治の世界は,一寸先は闇と言われるけれども,本当にそういう感じだ。しかし,私はこの経緯を見ていて別の感想を持った。それは政治家の言葉の軽さ,と言うか言葉の不実さである。今に始まったことではないが,それにしてもこんなに政治家は本当のことを言わず,自分の言葉に責任を持たなくて良いものなのか。

 安倍前首相は,臨時国会の所信表明の中で,「全身全霊をかけて、内閣総理大臣の職責を果たしていく」などと大見得を切った,その翌々日に突然の辞意表明である。「全身全霊をかけて」という大仰な言葉は全くのそら言でしかなかったのだ。

 突然の辞意表明も,原因が病気だったのなら,もはや病気で体力が持たないので辞めると正直に言うのが筋であろう。そうすれば国民も納得したかも知れない。難しいことではない。ただありのままを正直に述べるだけのことである。それが国民に対する説明責任を果たすことである。その本当の理由(もっとも病気だけが辞職の理由かは定かでない)を言わないで,イラク特措法延長のために適切な人と交替したほうがいいとか,小沢民主党党首に会談を断られたからだとかの虚偽の釈明に終始した。

 福田総裁が決まった翌日,安倍氏は病院から出てきて釈明の記者会見を行った。病気のことを何故言わなかったのかと質問されて,一国の首相が病気のことは言うものではないと思ったと答えたという。こんどは明らかな詭弁である。一国の首相が病気を言わないことは,その首相が職を継続する場合には,政治的配慮としてあり得るかも知れない。だが,一国の首相を途中で辞めることを決意した人がその原因となった病気を言わない理由などはおよそ考えられない。国民に対する誠実さがあれば,正直に話す以外の選択はあり得ないであろう。

 かって,安倍前首相は,従軍慰安婦について旧日本軍が強制的に連行した証拠はないと国会で述べ,内外から厳しい批判を浴びた。2007年4月,日本の首相として初訪米しブッシュ大統領と会談した際に,自分の発言の真意が正しく伝わっていないとして,もと慰安婦の方々への謝罪の言葉を述べ,ブッシュもこれを了解したと報道された。

 何故ブッシュに釈明し,謝罪の言葉を語らなければならないのか。それくらいなら,もと慰安婦の方々に対し直接謝罪すべきであるし,日本の国会においても当然自らの発言を訂正ないし釈明すべきであろうが,そこは頬かむりをしたままである。二枚舌を使って何の呵責を感じないのである。

 アメリカのメディアも,謝罪する相手を間違っていることを揶揄して,「ブッシュは(問題の)女性ではない」と報道した。

 安倍前首相が特別なのではない。自民党議員の虚言はあげればきりがないほど連日メディアで報道されている。

 自民党は「教育の再生」を掲げるが,それ以前にやるべきことは自民党の皆さんが自らの言葉に真実と誠実を取り戻すことであろう。国民に対して嘘は言わない。それだけでも実行して子どもたちに範を垂れれば,道徳教育などは要らないのである。