国民投票法案の危険なカラクリ(その2)


Posted on 3月 26th, by admin in 憲法エッセイ. No Comments

<もの足りない公聴会>
去る3月22日衆議院で国民投票法案に関する公聴会が開かれた。私は翌日に,その模様を「衆議院インターネット中継」のライブラリービデオをダウンロードして観たが,何かもう一つ釈然としなかった。この国民投票法案の危険性について私がもっとも危惧するところが十分に議論されなかったからである。

<国民投票運動の自由性と公平性>
発議された憲法改正案に対する賛成,あるいは反対の国民投票運動について最も重要なのは,自由性と公平性の確保だと思う。
前者は言うまでもなく規制を最小限に抑えて,自由な運動を保障しなければならないという要請である。自民党案が,500万人もいる国家公務員と地方公務員について,その「地位を利用した」投票運動を規制しているのは,大きな問題である。「地位利用」などの要件は,捜査機関によって容易に拡大解釈され,公務員であることを知らせて国民に働きかけを行えばそれだけで地位利用になるなどとして検挙されるかも知れないのである。
後者は,発議された憲法改正案に対し賛成の立場,反対の立場がありうるが,その双方の運動が公平に扱われ,平等が保障されるべきであるという要請である。自民党案は,テレビ・ラジオの無料放送の時間を各政党の議席数に応じて割り振るなどを定めていたが,これでは改憲反対派にあまりにも不公平だという国民の批判に押されて,賛成政党,反対政党双方に同じ時間を保障することに修正した。

<有料政治広告は禁止すべきである>
さて,問題はテレビ,ラジオを使って賛成,反対の広告を流す有料放送(以下では,CM放送という)である。自民党案は,これについて投票日の1週間前から禁止としていたが,修正案ではこれを2週間に延ばした。それではその期間CM放送を禁止する理由は何だろうか。
それは,繰り返し放送されるCM放送は国民の深層心理に作用し,投票行動に大きな情緒的影響を与えることが考えられるが,賛成派と反対派との資金力に大きな差があれば,CM放送を流せる回数,時間にも自ずから大きな差が出てくる。その差をそのままにして投票日直前までずれ込んでいくのでは,投票運動の公平性・平等性に反するから,投票日前2週間は国民に訴える手段・方法を賛成派,反対派双方に平等にして,国民に冷静に判断する機会を与えようということにあるのであろう。
しかしながら,投票日前の2週間だけCM放送を禁止すれば,公平性・平等性が確保されるというのは大いなる欺瞞である。テレビなどの影響力,伝幡力の大きさは,よく言われる「納豆ダイエット騒動」に象徴されるように想像を絶するものがある。CM放送ももちろん同じである。
憲法改正が国会で発議されてから,たとえば,「憲法を改正して国際貢献をしよう」,「美しい国をつくるために憲法改正が必要だ」などのCMが,どのチャンネルでも,何十日も,朝昼晩とじゃんじゃん流されたら,そんな気になってしまう国民は少なからずいるであろう。有名タレントやアイドルを使ってのCMを考えると,その影響力は甚大であり,決定的といっても過言ではない。投票日の2週間前を禁止しても,その前の洪水のようなCM放送ですでに決まってしまっているであろう。
運動団体にそんなに大量にCM放送を流せる資金力があるか,と言う現実的な議論をすれば,いまの改憲派(憲法9条を改訂して自衛軍を持ち,海外派兵も可能にするという改憲派)には財界がついているのだから,何百億円であろうと何千億円であろうと実施が可能である。これに対し,改憲反対派にはそれだけの資金が逆立ちしても出てこないのは周知のことであり,経済力資金力の差は歴然としている。だから,CM放送を規制しなければ,改憲賛成派はその資金力にものを言わせてCM放送をじゃんじゃん流して,国民の意識を変え(洗脳し),改憲を実現してしまう可能性が大である。これではカネで憲法を買うようなものである。そういうことを可能にする自民党案の実に危険なカラクリであるが,一国の憲法がカネで変えられるようなことは絶対に許してはならないと思う。それはいまを生きる私たちが後生に対して負うせめてもの責任である。

<イタリアはCM放送を禁止している>
こう言えば,しかし表現の自由を規制してはいいのかと言う反論がある。私は,表現そのものを規制するのではなく,表現の手段を憲法改正国民投票運動の公平性・平等性の確保という,より高位な価値のために規制するのであるから,問題はないと考える。
現に外国でも,たとえばイタリアでは,国民投票運動における有料政治広告は全国放送局においては禁止されており,各政治主体がメディアに平等にアクセスすることを通じて国民の選択の自由を保障すべきとの原則が国民的コンセンサスになっている,とのことである(自由法曹団イタリア調査団報告)。
それでも表現の自由との関連で有料のCM放送を禁止すべきでないというのであれば,禁止の代わりに有料のCM放送と同じ時間だけ相手陣営に無料の広告を保障するような制度設計をすべきである。それが経済的に出来ないなら,やはり禁止しかない。